すべては、空(くう)

今日はしっとりと涼やかな雨。

気持ちいい。




ここしばらく続いていた咳が治ってきて、昨夜は久しぶりに熟睡できて、ホッとしている。

今年の夏至周辺はとても穏やかで、感情が乱されることはなかったけれども、咳の浄化で古い周波数を解放していたのだろう。

その咳に伴う周波数は、先祖の家系から続く古い女性性、母性が持つ自己犠牲や怒り悲しみ、恨み諦めそんなようなものだったようだ。

もう私自身はそういった感情を全く感じないのだけど、周りの友人知人が夏至周辺でそういったものを見せてくれていた。

これらの周波数は、とても根深いものなのだ。





私自身も、ゆいが小さかった頃は、これらの周波数が沢山浮上して、子育てがしんどい!家事がしんどい!パートナーが憎い!(笑)という時期があったけど、ゆいが0歳の時から手放しまくっているので、ゆいが3歳を過ぎた頃からだいぶ楽になって、もうそこからは、毎日じゃんじゃん手放しながら、自分を生きることへの集中を深めていった。

確か2020年からコロナが流行し始めて、世間は一気に「ステイホーム」と言って、自粛ムードになったけれども、私はちょうどその前年の2019年がまさに「ステイホーム」で、内観に集中しなさい、というようなハイヤーからの後押しを感じて、時々引き受けていたヨガの仕事も断って、ほとんども人にも会わず、できるだけ外出もせず、自宅でひたすら瞑想している(死んでる)、という状態だった。

多分、子供がいなかったら、私は本当に何にもしなかったのだろうけど、唯一、ゆいの保育園の送迎に外出する、という感じで、でもそれすらもしんどくて、誰か送迎してくれないかといつも考えていたし、休日のゆいの遊び相手も私にはできないから、できるだけパパにお願いしたいと伝えた。



その時期、身体がだるくてだるくて、本当に動けないし、何にもしたくない、という状態だった。



子供の世話もしたくない、家事もしたくない、仕事も当然したくない、何もしたくない。

もちろん、ゆいちゃんは可愛いし、大好き。なんだけど、誰かに子育ても代わってほしいくらい、私には育てる気力も体力もない。

家事はしたくない。だから、家政婦さんにお願いしたい。こんな奥さんが嫌なら離婚してください、と旦那さんに言った(笑)

そうは言ったものの、実際には家政婦さんを探すのも家を片付けるのもしんどくて、なかなか動かない私を見かねて、早く家政婦さんに頼んだらって旦那さんが言ってくれて、その翌年くらいから月に2回来てもらうことになった。(ちなみに、家政婦さんには、今も来てもらってます♪)


そうして私は、母の役割も、妻としての役割も、完全に放棄していた。

ある意味、三次元的な役割にエネルギーを使う余力は毛頭なく

これらの現象もすべて自分のライトワークなのだとも感じていた。

そして私は、ひたすら、ただ瞑想し続けた。

それ以外のことは、全くやる気がなかった。

私は、ただ生きていた。

生きたいという意欲すらなくて、このまま死ぬんじゃないか、というくらい、身体は動かなかったし、本当に何の希望も願いもなかった。

静かに聴こえるハイヤーセルフ、ガイド、魂の声は

「変容の真っ最中」

そこに、私自身も疑いがなかった。

蛹から蝶になる。

その感覚だけが、身体の奥の方で、魂の深いところで、振動しているのがわかる。

だから、無価値観も、罪悪感も、ほとんど感じなかった。(記憶が定かではないから、感じ切ったのかもしれない)

私にとっては、何かをしなければならないことの方がしんどかった。

何にもしなくていい。

何にもしなくていい。

そう魂の声は囁く。

何にもしなくていい、と、自分に言い聞かせると、嬉しくて涙が出るのだ。

全てを手放して、きっと、また生まれ変わるんだ。

意識の奥で、ただ、そう感じることができた。







そうして、いつの日だったか

ブラックホールからホワイトホール?


いくつかの銀河を超えて

宇宙の果てまで意識がひろがって


ーすべては、空(くう)だったー


と、わかったのだ









2019年は


意識の反転が起きた年、だった









aki