湯河原リトリート ご縁の杜
15時チェックイン。
今回は、「時を過ごす」という名前の部屋。
こちらのお宿は、部屋ごとに素敵な名前が付いていて、3年前に来た時には、「水と遊ぶ」という部屋だった。
「時を過ごす」キーワードは、「流れる・感じる」
流れているものを見るワークが紹介されていたので、静かに自分の内側を見つめ、そのワークをする。
16時〜ディープティシューマッサージ90分
ディープティシューマッサージは、初めてだった。
私は、マッサージが大好きで、ありとあらゆるマッサージを色んな場所で受けているのだけど、中でも「エサレン」が大好きで、こちらの宿で受けられることを知っていたので(3年前に来た時にも受けた)、最初はエサレンを予約しようと思っていたのだけど、この一年ほど、深いところの凝りが気になっていて、強目のマッサージを望んでいたので、この「ディープティシュー」をHPで拝見し、ぬぬぬっ!となり(笑)
予想を遥かに上回る圧の強さ!!!
ゴリゴリゴリゴリゴリーーーーーッと、何度も何度も、深いところの凝りにアプローチしてくださり、呼吸の誘導と共に、この部分に抱えてこんでいる責任感(というワードをMIHOさんが言ってくださる)を、開放していく。
あまりの激痛に、途中、悶絶しそうになってしまったけれど、でも、ここまでのアプローチがあったからこそ、気づけたことがあった。
私には、首肩背中に慢性的な深い凝りがあり、特にこの数ヶ月、だるさと軽い痛みが時々浮上するようになっていた。
セッションの初め、セラピストのMIHOさんの問診があり、それはいつからですか?と言われ、「看護師時代から」と答えた。
私が中学1年生の時、友人が膠原病で急死した。病名は、全身性エリテマトーデス。
それで膠原病に興味を持ったことと、青山というお洒落な立地にある、ということに惹かれ、東京女子医大附属青山病院、リウマチ膠原病科に就職した。
二交代制の勤務で、夜勤は16時ー翌朝8時まで。基本的には、それほど大変な病棟ではないのだが、患者さんの容体が急変することが時々あり、病棟は一気に戦場になる。特に夜間の急変は、スタッフの人数も少ない上に、長時間労働でもあり、地獄だった。
そして、まだ血圧がどれくらい高い(低い)とヤバイのかもわからないくらい、トンチンカンであんぽんたんな、新人おたんこナース、独り立ち夜勤の2回目か3回目くらいのヒヨッコ時代に、その地獄の日が訪れた。
私の担当の患者さんが、腎生検後に出血し、あれよあれよという間に容体が悪化し、意識不明状態に陥った。
私は血圧を測ることくらいしかできなかったのに、脈が触れず、血圧も測れない。何をして良いかわからず、右往左往し、先輩から怒鳴られる。あちこちからドクターが現れ、挿管し、輸血し、容体が回復せず、朝になって本院へ搬送。
私は担当ナースとして、それを全部記録しなければならないのだが、何をどう記録していいのかさえわからず、先輩に一字一句教えてもらいながら、なんとか申し送りをした。
私は、ずっと小さく震えていて、心は泣いていたが、気丈に振る舞いながら、必死にその経験から学ぼうとした。
引き継ぎの後も、この患者さんが亡くなったらどうしようと、自分の責任のように感じて怯えていた。(患者さんは奇跡的に助かった、と、数日後に知らせを受けた。)
この時の、逃げ出したいほどの強烈な恐怖、命を預かっているという重圧。
その後も、夜勤になると、仕事の直前に手に汗が出るほど緊張したこと。その緊張の中で、夜を過ごしたこと。
自分を奮い立たせて、看護師を続けたこと。
その時の記憶が、その時の痛みが、セッション中に、記憶の倉庫から浮上したのだった。
続