時空を超える

そして、最後に、自分の守護ガイドとの対話、をすることになった。

守護ガイド、、、。

私は「守護ガイド」のことは、これまで特に意識をしたことがなかった。

いろんな存在や、大いなる源に守られている、という意識はもちろんあった。

ハイヤーセルフ・魂との繋がりは安定してきたように感じていたが、霊視や霊聴の能力はほとんどなくて、天使や神様やご先祖さまを見ることもないし、自分からコンタクトをとることもなくて(笑)

でも、ぶちさんの誘導に従って、守護ガイドとコンタクトを取るように意識し、自分の感覚に集中していくと、左上の背後から引っ張られる感覚が確かにあった。

そして、そこに誰がいるのだろうと内観すると、父方の祖母の姿がみえた。

私はまた魂がぶるぶると震えて、涙が止まらなくなった。

祖母は、穏やかに微笑んで、「大胆に生きなさい」と言った。



:::




そういえば、20代の頃だったか、ある手相占いの方に言われて、ご先祖様の守護を意識していた時期があったことを思い出した。



祖母は、私が生まれる2ヶ月ほど前に、三浦海岸のどこかで自殺した。

私が物心ついたときには、祖母は病気で亡くなったとだけ聞かされ、祖母がどんな方だったのか、親戚の集まりでも祖母の話をする者はなく、私の中でも遺影の姿しか知らない、遠い存在だった。

祖母が自殺で亡くなったことは、祖父が亡くなったときだったか、どこかのタイミングで知ることになり、父は祖母の死のことも、自分の人生のことも、あらゆることを悔やんでいるようにみえた。

父の中には深い失望があり、いつも母を罵倒していたので、私は子どもの頃から長いこと父を憎んでいて、私自身がそこを癒し切るのにも、長い時間がかかった。

また、私がゆいを授かったとき、父の姉であり、祖母の長女である伯母が亡くなった。

そんな命の連鎖の中で、魂の繋がりを意識させられてはいたけれども、すべてを祖母(脈々と続く、すべての先祖の魂)は知っていて、私にずっとその温かな眼差しを向け、私自身の魂の成長を支えてくれていたのだとわかったとき、その大きな大きな魂意識の深い絆に、ここに生かされていることの奇跡を思った。



そして、実はリトリートから帰ってから、深いところから押し寄せるように記憶の扉が開いて癒しが起き、先祖から持ち続けてきた負の連鎖というべき女性意識の古い周波数を解放することも、まさに、今だったのだと、、、、。

もちろん、それも膨大な記憶・情報の一部分でしかないのだろうけれども、私の中では、かなり手応えがあった。

さらに、その守護ガイドとして認識した祖母の姿こそ、自分自身そのものであったということ。
だからこそ、分かり合えない父を憎み続けたのは、愛する我が子故だったのだ、、、、、。

そして、私とゆいの関係の中にあった、小さな小さなわだかまりも、ここに来るための破片として大切に抱きながら、許しと信頼の中に統合されていった。




2020年という時代(とき)のエネルギーが、和解へと、調和へと、大きく後押ししているに違いなかった。







⭐︎⭐︎⭐︎







時空を超える旅。


私という存在、魂という宇宙。


その偉大なる力、壮大で広大で深淵な領域が、太古から未来へと続いていく中で


すべての生命・すべての存在とつながっている無限のネットワークの中に生きている私たち。


そのすべてが、「いま」というときの中に、「わたし」という意識の中に、ある。






私はまたひとつ、新たな次元の扉を開け、新しい宇宙の中心に降り立ったようだった。




aki








コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です