昨日は春の嵐で、家でゆっくり過ごしていた。
いつも午後に瞑想をするのだけど、昨日は時間もたっぷりあったので、長めに入ることにして、リラックスできる大きなクッションに、で〜んと横になった。
私の瞑想法は、いつも、その日のその時の気分で、好きなスタイルでやる。
決まりはなく、自由。
一応、ヨガのプラクティスや、講師の資格を取る過程で、いろんなやり方を習ったけれども、その中でもシンプルなものを好み、基本的には「ただ何もしないでいる」というやり方。(やり方って言うのも、なんか変だね笑)
そう、ただ、何もしない。
以上。
何かが起こるのを期待したり、インスピレーションやメッセージを受け取ることも期待しない。
ただ、ただ、寛ぐ。
私にとって瞑想は、「ただ自分自身でいる」ということ。
ただ、「静かに自分を見つめ、自分でいる」だけで
「深く、寛ぐ」だけで、実はそれがとてもパワフルでね。
何かが自然と起きる、ことは、よくある。
瞑想を難しく感じている人に、それを伝えたいなぁと思うよ^^
昨日は、瞑想の時に、珍しく自分に問うてみた。
『私は、何のために、ここにいる?』
『ただ、愛を、生きなさい』
それからしばらくの間、深い寛ぎと安らぎの中に身を委ねて、深い瞑想から目覚めたとき、
何も、判断する必要がないこと。
今、今という中に、いつも、すべての存在にとって、完璧である「調和」があること。
未来のために、何の努力も必要ないこと。
私に必要だったのは
愛する人の、ありのままの姿を認めること。
(たとえ、苦悩の中にいたとしても、手や口を出す必要はなく(時と場合による)、ただ受け止めること)
そんなことが、す〜っと意識に流れ込んできて
そうだった、そうだったと(笑)
いつも、忘れてしまう大事なことを
またひとつひとつ拾い上げて、受け取ったのでした。
そして、これまでのすべての経験(過去、過去生)が、愛へと昇華されていき
生き生かされていることの尊さと愛の中で安らいでいる
この感覚、この領域、この状態で在る・生きるということが
私の本来の姿(本質)なのだと
わかったのでした。
aki