感謝。

ここ最近眠りが浅い。
昨日は風邪がようやく抜けて身体が軽くなったので、朝いつもより少し早く起きてヨガをした。
輝くような朝だった。
リビングで朝陽の方角の窓を向いて、座布団の上でやさしいヨガをする。
体側を伸ばし、首をほぐす。
ジャーヌシルシャアーサナ、パスチモッタアーサナ、バッダコナアーサナ。
下腿の筋肉は硬くこわばって、少し伸ばしただけでも痛みが出る。
そんな硬さや痛みを感じながら、無理のないところでホールドして、呼吸する。
背筋を伸ばし、印を結び、瞑想。
身体に精気が蘇り、細胞ひとつひとつに充満する。
なんて清々しいんだろう。
病み上がりのヨガは、ひときわ、そのほんの少しの静寂の恩恵を実感する。
そしてちょうど瞑想中に、家屋の陰に隠れていた朝陽が顔を出し、私の額の裏を暖かく輝かせる。
本当のヨガは、なんの気負いもない、静かなものだったんだと、思い出す。
どこにも向かうことなく、ただ「今」にいるための時間。
そしてふと、私は本当のヨガを伝えているだろうかと、自分を省みる。
出来ていないかもしれない。
でも、多分本当のヨガの正しさなんてどこにもなく、色んな日の色んなヨガがあっていいんだなと思い直す。
少しヨガをしただけでも、いつもの朝より特別な気分だった。
もうすぐ春分の日ですね(▰˘◡˘▰)
午後。
まだ頭の奥が響いて咳も出るから、ちょっと自信がなかったのだけど、でもやっぱりヨガがしたくて、夕方ジムのビンヤサヨガを受ける。
久しぶりのちゃんとした練習(^^ゞ
朝ヨガをしたお陰か、思ったより動いた。
でも筋肉の衰えは感じる。
それでも全体を通してとても集中し、そして感動していた。
後半クールダウンに入ると、私は涙が溢れてきた。
何年か前、ひどい頭痛と発熱で1週間動けないことがあった。
その時も、体調がよくなってきた時に自宅でヨガをしたのだけど、その時は全然身体は動かなくて、どうにか少し筋肉を伸ばすのが精一杯、ただ身体をのそのそと動かすだけのヨガでも、私にはとても意味のあることだった。
そして1週間ぶりに外を歩いた時、脚はガクガクで辛かったのだけど、歩けることの嬉しさに涙が出そうなほど嬉しくて。
その時のことがふと思い出されたのだ。
昨日のヨガの時、身体が動き、ヨガが出来ることが本当に嬉しくて。
ヨガをすることを与えられている自分、いつもヨガをすることを許されている今の境遇、自分を取り巻くすべてに感謝の思いが溢れて、胸の中から感謝の思いが飛びでてきそうだった。
感謝、感謝、感謝。。。
そうだ。
私は何のためにヨガを教えているのか。
誰かのためとか、平和のためとか、自分の健康のためとか、色々あるかもしれないけれども、そういうものは二の次で、本当は「私がヨガをしたい」という、ただその純粋な思いだけなのだった。
昨日、私はただヨガが出来ることに感謝していた。
ヨガの仕事を始めた時、生徒さんが一人も来なくても、クラスを開こうと思った。
何日も来なくても、続けてみようと思った。
ヨガに携わることが、自分の本質を表現する唯一のことだと思ったからだ。
仕事とは、自分を表現することだと、それは揺るぎない思いだった。
でも実際には沢山の人が来てくれた。
そしてそれがどんなに有難いことだったかを、思い出した。
生きることとは、感謝することなんだと
あらためて気づいた一日でした。
shanti,
aki

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