奄美の旅  〜傲慢であること〜

15日−16日
羽田から2時間と少しで奄美大島に到着。
ホテルでおそーいランチ、海沿いのレストランで潮風を浴びながら、島の名物「鶏飯(けいはん)」とお刺身をつまみに生ビールで乾杯。
いや〜うまいっ(^-^)
お酒が大好きな母は、早速お土産コーナーで黒糖焼酎とおつまみを買い、部屋でも飲む(笑
私は焼酎は全く飲めない(*_*;)
よく居酒屋さんとかで黒糖焼酎が人気だけれども、ここ奄美でしか製造していないんですって。
まさに奄美の名産品ですね。
旅先では眠りが浅くなることが多いのだけど、今回は毎晩ぐっすり。
毎晩ビールを飲んだお陰かな^^
朝の目覚めもスッキリで、初日は朝陽を浴びながら、スーリア・サンチャラナ(太陽の呼吸法)。



空港で見つけたチラシからツアーを申し込む。
アイランドサービス
「金作原原生林散策&マングローブカヌーツーリング」
奄美で最初に観光業を始めたという、むちゃくちゃ情熱的で饒舌なアラタさんがガイド役。
日本で初めてカヌーを観光に取り入れた方らしい( ゚д゚)!!
とにかく自然に対する情熱が半端無く、ボランティアで野鳥やウミガメの調査をしており、環境省の方達とも会談してるんだそうです。
(ちなみに5月からのウミガメ調査のボランティアも募集中だそうです!)
夏には子供達のサバイバルキャンプをしていて、3週間子供と親は連絡取るもの禁止、本当の自然とは何かを体験するかなりハードなキャンプをしているそうで、「行政が行っているキャンプなんて綺麗事だけ!」とご立腹(^^ゞ
「自然を保護するとは自然に触っちゃダメってことではない。自分達がいかに自然の恩恵の中で生かされているかを子供達に教えなければならない。」
奄美のこと、自然のこと、世の中のこと、色んなことに対して苛立ちや希望を持っているアラタさんの熱い話を聞きながら、丸一日奄美の自然を体験するツアーでした。
最初は小さな滝のある森の中。


カヌーは別のガイドさんにバトンタッチ。
カヌーの漕ぎ方、マングローブやそこに住む生物達の生態を丁寧にレクチャーしてくれました。
小さなカニさんがいっぱい。
ご一緒した埼玉出身の素敵なカップルがとても仲良くて可愛くて、一緒にはしゃぎました(^^)
その後もこのカップルとは何かご縁を感じ、ホテルは違うのだけど、会うと声を掛け合ったりしました。
こういう旅の出会いっていいですよね。
川の流れと風を感じながら山を望む。
気持ち良かったです。




真夏だったら結構な陽射しできつかったと思うけれども、春の心地よい気候でちょうどよかった(^^)
この奄美のマングローブは、沖縄の西表島の次に大きいのだそう。
奄美ってこんなに自然が豊かだったんだ〜〜〜って感動の瞬間でした。
アラタさんオススメのお店でランチ。
鶏飯はもう飽きたので(笑、私はお手製タンカンジュースと黒豚とパパイヤ丼、母はビールとつまみのおかずを二品。
私もビールを一口もらう♬
結構喉が渇いてたから、あー美味しい♡
午後は、金作原原生林散策へ。
途中、アラタさんは車を止めて、木苺を沢山摘んでくれました。
甘くて美味しい!



一村の絵にも登場する、このヒカゲヘゴの陰影がなんとも美しい。
私達が観葉植物として部屋に飾っている子たちが、伸び伸びと大きくそこら中に自生している南国の風景。
アラタさんが、「こういうのを(苔とか蘭とか)都会で売ったらボロ儲けだよ。」と冗談でもない感じで仰るのだけど(笑
確かに私達は無理やり南国のものを買い求めて、栄養を与えては冬に枯らしたりしている。。。
(この冬、サンスベリアを見事にダメにしてしまったワタシ(;_;))
「適材適所」という言葉がふと浮かんだ。
本当の意味とは違うかもしれないけど、植物も動物も、自分達が一番気持ちよく育つ場所があり、そこにいるのが幸せなのかなと。
それが「自然」ということ。
きっと人間も同じなんだろうなって思った。
私達は、然るべきところに生まれ育ち、然るべきところで力を発揮して、然るべきところで死す。
人間は脚と頭があるから、この地球上の(宇宙までも)どこにも行けるし、行きたいという欲求があるけれども、植物達は生まれたところから遠くに行きたいなんて、きっと思っていなかっただろう。
わかってはいるけれども、観葉植物達は私達の強欲の賜物だなぁとちょっぴり反省。
いつも自然に触れるたび、都会の生活に安住し、自然に対して本当に鈍感になっている自分に気づく。
謙虚にならなければならない。
私達のために、生き物は犠牲になり、癒やしを与えてくれている。
いつだって自然の恵みに養われ、生かされている。
そして、それに対して自然は怒ってもいなくて(でも悲しかったかもしれない)、都会に連れて来られても、私達を喜ばせようとしてくれているのだ。
そんなことを考えたら、なんだかとても悲しくなってしまった。
ごめんね。ごめんね。
でも、ありがとう。。。。
アラタさんが言うには、沖縄と比較して奄美の観光は未だ日の目を見ず、島には仕事がなく島人は貧しいのだと。
行政はトンチンカンな政策しかせず、観光のために何億とかけて作った橋(道路?)に人は全く行かないと言う。
確かにどこもかしこも素朴で、全く洗練されていないという印象だった。
お洒落で快適なものに慣れてしまっている私は、そんな奄美に少し物足りなさを感じていたけれども、それも今思えば本当に傲慢な考えだ。
手付かずの自然こそ本当に貴重な財産なのに、どこかで洗練されたもの(そこには多大な開発に伴う自然破壊がある)を求めている自分がいるのだから。
でも島を活気づけ島人が豊かになるためには、ある程度の開発は必要。。。
この日の前日、ホテルに着いてすぐ母と食事をしながら色々話をしたのだけど、話題は父の話。
幼い頃から、人を見下すように話をする父の傲慢さに我慢できないとず〜っと思ってきて、でもこの一年ぐらい、父の良い面を見れるようになってきて、父を本当に受け入れるとはどういうことなのかということを自問してきて、ようやくひとつの答えが出たのです。
それは、私もまた、「傲慢である」ということを受け入れることだったのです。
こうしてブログを書くことも、ヨガを教えることも、私は時々それが「傲慢ではないか」と思って、止めようかと何度も思った。
ずっと父のようになりたくない、傲慢になりたくないと思っていたけれども、傲慢さと正直さは紙一重なのだ。
そして、他人によい影響を与えたいと思うことも、自分の幸福を追求することも、「傲慢である」ことなのだ。
私の中にある多くの矛盾に気づき、今それを噛みしめる。
この世界は矛盾だらけだ。
すべてが矛盾の産物。
そして、それが真理なのだ。
自分の傲慢さ、利己心を認めるからこそ、他人や自然に対して謙虚でいること、愛と感謝の心を持ち続けることを忘れてはならないのだということに、あらためて気づいたのでした。
私達は、自然を求める。
そして、自然を壊してもいる。
旅そのものも、自然への渇望と破壊だ。
だから、旅先に降り立つ時、私は感謝する。
そこを訪れることを許されたことに、感謝する。
そして、旅を純粋に楽しむ。
でもいつも、旅はちょっぴり切ない。。。
新たな経験と気づきを与えてくれた旅、奄美の土地に感謝して、日常に帰る。
この辺りの自然の木々の柔らかさや可憐さが眩しい、鳥達も鳴いている。
ご飯を作る、頂く時、いつもより感謝の気持ちが湧き上がる。
出来るだけ、自然に生きたい。
「自然に生きる」とは何か
出来ることから、少しずつ、始めたいと思う。
shanti
aki

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