Warning: count(): Parameter must be an array or an object that implements Countable in /home/iamtio/readyoursign.com/public_html/akiyoga/blog/wp-content/plugins/post-plugin-library/common_functions.php on line 174
世界一周旅行の後、色んな国の色んな素敵なところや素敵じゃない大変なところも見て回って、結局「日本は世界一素晴らしい。」と自負して帰国したのだけど、日々の雑音や街の雑踏にのまれ、またあるボランティアのツアーに参加し、団体生活にほとほと疲れたことも重なって私は再び鬱になった。
人生で初めて愛国心を強く感じたと同時に、日本の自然とかけ離れた生活とめまぐるしいほどの社会のスピードと礼儀正しく清潔すぎるコンクリートの建物や人間関係にどうしてもなじめなかった。
その頃ヨガをしていたから、そんな自分をごまかすことができずに、毎日毎日瞑想をしていた。
そして色んなことに気がつき、私は私のペースでひとつひとつ問題を解決しながら人生を楽しめるようになったけれども、何かまだ微妙にずれているような、ちょっと欧米人っぽいといわれてしまうぐらいに自由主義な私は、日本の忙しく規則正しすぎる風土に息苦しくなり、去年10年ぶりにバリに舞い戻り、神々の島といわれるここで自分を見つめ直した。
そして私は気がついた。バリの人々の神との強い結びつきをみて、私が求めているものもそれなのだと。
“神聖なるもの“との結びつきを保ち続けること。
バリ・ヒンズーはおおらかで、他の宗教を排しない。
アニミズムも含み、精霊達に親しんでもいる。
街中にブッダ像があり、シバもサラスバディもいるし、木彫りや石彫りのお店には恵比寿様までいる。
彼らは信仰深く、また自然と調和している。彼らは人の前に謙虚であるだけでなく、神の前で謙虚であるのだ。
私は日本に戻ってから自分の人生が大きくうねるように変化していく中で、それはとても喜びに満ちたものだったのだが、宇宙の大いなる流れを信じそれに習っているつもりだったけれども、それと同時にまた自分のエゴも日増しに肥大してしまったのだと思う。
もちろん宇宙への畏敬の念を忘れたことはないし、どんなときも私の心にはヨガがあったと思うけれども、それでも私はやっぱり分離していた。つながりを失いつつあった。
だから時に自信を失い、生きることが空虚に思えて、心はとても穏やかなのに、力が湧いてこないのだった。
そしてまた今回バリを訪れ、もう一度気付かされた。
私は、つながっている。
私は大海に溶け込んでいく、一粒の滴であり、水であり
私は宇宙に溶け込んでいく、一筋の生命線であり、魂であり
私達は、皆ひとつであり、神なる偉大なるものとつながっているということを。
日本人ももともと信仰心の深い、心優しい人々だとまた気がつく。
戦後ものすごい勢いで日本経済が発展して今のような物質的な豊かさを享受するに至った背景には、私達が真面目で謙虚で、そして心優しく繊細な民族だからだと、ふと思った。
私達は傷ついた心を打ち消すかのように、働いて働いて働きまくって、自らを奮い立たせてきたのだろう。
そう思ったら、すごく日本が愛おしくなって、みんなが本当の自分を思い出し、心の豊かさを取り戻してほしいと思う。
そしてなぜか美しく荘厳なバリ舞踊を見ているときに、いつか肉体は死ぬのだから、早いか遅いかはわからないけれども、心から、そう魂からもっともっと自由に生きようと思った。
シャンティ。
胸の前で合掌すると、いつでも神聖なエネルギーに包まれ
静か座り、自然の音に耳をすませば、宇宙の息吹を感じる。
自分の顔も髪も皮膚も内臓も足も生きている。
空気も水も花も土も石も生きている。
すべてが息づいている。
それが私達を生かしあらゆるところを満たしてくれる。
どこにいても、「平和」はここにある。
私の心の中には、いつも「平和」がある。
それはどんなときも、朝も昼も、ヨガや瞑想の最中でなくても、日常の中に、ある。
誰かを憎んだり、うらやんだり、疑ったり、さげずんだりすることなく
世の中のことをそう嘆いたり、苛立ったり、怒ったりすることなく
今の自分をそのまんま受け入れて、そしてあなたをそのまんま受け入れる。
これ以上、何も望むものはない。
それくらいに、心が満たされています。
それは、どこでも、どんなときも、私が神と共に、この大宇宙と共にあるならば
揺らぐことはないでしょう。
人間だから、時に困ったり、悲しんだり、怒ったり、驚いたりしますが
だからといって、普遍的な魂は脅かされることはありません。
日本にいても、バリにいても、大切なものは、すべて自分の中にあります。
あらゆるものが混沌としては調和しているのでしょう。
善も悪もあるといえばあるし、ないといえばない。
良いことも悪いことも、あるといえばあるし、ないといえばない。
すべては表裏一体。
もともとはひとつ。
今、与えられているものに深く感謝し、日々心穏やかに純粋でいられたら。
日本でも、そんな風に生きられたらと思います。
ナマステ
aki
関連記事:
- None Found