「自由である」とは、どういうことか。
何にも縛られず、体も心も軽く拡がりがあり、苦しみのない穏やかな境地。
特に、自分を縛り付けているのは自分だった、ということに気がついたとき、多くの障害は取り除かれる。
AVIDYASMUTA RAGA DVESHABHINIVESHA KLESAH.
無知、我想、執着、憎悪、生命欲が、5つの障害である。
ヨガスートラ Ⅱ-3
瞑想を続けていくと、この5つの障害が自分の、そして人間の苦しみの原因であることがわかります。
ヨガの練習とは、この苦しみを取り除くことであり、乗り越えることであり、無知(自分を知らない)を克服することです。
20代の頃、自己流で瞑想をしていて、あるとき自由を手に入れました。
その安らかな自分に満足し、瞑想にふけていることがありました。
ところが、自由であることにただ甘んじていると、クレシャ(障害物)はたちまち自分の中に再びあられてくるのです。
時々瞑想にふけているだけでは、本当の自由もサマディもないことを痛感します。
日々ヨガを実践すること、そして人生の中でヨガを活かすこと、すなわち「ヨガを生きること」によって、少しずつ私達は成長し、気づき、本当の自由というものを垣間みることができるのかもしれません。
修習は長い期間、休みなく、大いなる真剣をもって励まれるならば、強固な基礎を持つものとなる。
ヨガスートラ Ⅰ-14
それでは、今日はこれから千葉まで出かけてきます。
皆様も、良いお盆をお過ごし下さい(^-^)
namaste
aki