社会の奴隷にはなっていない。


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ここのところ家にいることも多いし、温かいリビングで過ごす時間も多く、結構テレビも見ています。
毎日のように仕事をしていた頃はテレビやニュースに関心をもつ時間も意識もなく、それはそれでよかったのですが、こうしてテレビを見ながら色々と考えたりするのも大事なことかなと思うようになりました。
ドキュメンタリー系はもともと好きなのですが、最近は世の中を知ろうとためになりそうな特集番組はもちろん、連ドラやお笑い番組までよく観るようになり(お笑い系は旦那さんの影響デス!笑)、最近すっかりテレビっ子。。
ゴロゴロしておせんべいを食べながらテレビを観る暇な主婦というのはある意味憧れでしたので、それが叶いました。笑
それにしてもテレビもよく頑張っています。
よい番組も沢山あるし、ドラマも面白いですね。
本当に世の中には色んな人がいて色んなことがあるなぁと、毎日感動しきりです。
ここ連日のニュースもかなりドラマティックです。
大阪桜宮高校の体罰・自殺・入試問題、アルジェリア事件、ボーイング787の不具合、アベノミクス、原発再稼働、中国の大気汚染、オーストラリアの大山火事、アメリカの銃事件、首都高の修復工事、隕石落下?の映像・・・毎日色んなところで色んなことが起きている。そして、それらはすべて繋がっていて、自分ともとても密接に繋がっていて、決して他人事ではありません。
時々心が乱れるような悲しい事件もありますが、テレビの報道内容に翻弄されることなく、少しでもそこから事実を見極めて、自分なりの解釈をしてみたり、自分の内面に問いかけたりしています。
ひとつひとつの出来事に関して色んな立場から色んな意見があると思いますが、すべてはこの地球への警告であり、私達一人ひとりへのメッセージだと感じます。
そして、社会では色んなことがあり色んな価値観があるけれど、私の道は私なりの強い意図と決意があってしているという自負がある。
時々自分ってなんなんだろうって未だに自分を疑うことがあるけれども、私の好きな番組、昨日の「情熱大陸」は昨年芥川賞をとられた作家の田中慎弥さんのドキュメントでしたが、最後の場面での彼の発言に妙に感動して涙が出そうでした。
「どんなに人に後ろ指刺されようと、かろうじて社会の奴隷にはなっていないと自負している。」
彼の小説は読んだこともないし、確かに彼の醸し出す雰囲気や経歴は決して一般的に好感を持たれるようなものではないかもしれないけれど、この30分、彼に深く共感し尊敬できるところがありました。
その前の時間の「ソロモン流」も大好きで毎週観ているのだけど、プラネタリウム・クリエーターの大平さんもすごく良かったし凄かった!!
人間って面白いなぁ凄いなぁと、今日はそんなことをしみじみ思いました。
ところで。
桜宮高校でどのような体罰が実際にあったのかはわからないけれど、優秀なコーチとして体罰を生徒に与えた(与えたかもしれない)教員と、暴言を平気で吐く父が重なりました。
自分の立場を利用し、自分の権力が絶対だと疑わないゆえの傲慢。
その傲慢は、都合よく愛情と表現されて放任されていたかもしれません。
しかし、どんな形の暴力もものすごい殺傷力があります。
その傲慢による暴力が容認されて言い訳がありません。
私はよく父の暴言に反論し歯向かいましたが、「子供が父親に逆らうなど許さない」と全く聞く耳を持たない父を、私は子供の頃からなんと理不尽で残酷な人だと憎んできました。
色んな葛藤の末、父を許し父を容認することに努めましたが、心の奥底では私は「怒り」を溜め込み自分自身を押し殺していたのでした。
父を殺すか、自分を殺すか、そのどちらかしか出来なかったのです。
本当に人を許すことはなかなか難しかったのです。
それに私はまさに今年の頭にこの桜宮高校の事件と共に気づきました。
そして、そんな状況を見て見ぬ振りをしていただろう周りの教員や生徒たちと同様、父の母への暴力も周りのオトナは見て見ぬ振りをしていました。
そして私自身も、いじめをしている人に忠告したことがきっかけで自分がいじめられたこともあるし、いじめを受けている友人をかばえなかったということもありました。
誰もが自分の身を守りたい。自分さえよければいい。そんな風潮はどの世界でもあります。
今までは良とされていた教育も、やり方を変えなければならないのは明らかだと私は思います。
私自身は決して人を傷つけたくないと頑なに思っていました。
ですが、無意識のうちに誰かを傷つけていたということも多々あるのです。
すべての暴力の原因は、個人の心の中に種があると思います。
その種をひとつひとつつまみ取らなければ、本当の解決にはならないでしょう。
価値観が多様し、あちらとこちらでは全く逆の道を目指しているような現象も多く見られます。
私が正しい、これが正義だ、と誰もが思っているかもしれません。
そう、きっとすべてが正しいのでしょう。
でも、臭いものにふたをするような手当や対策ではなく、ネイティブアメリカンの教えのように、7代先の子どもたちのために何が正しいやり方なのかということを、一人ひとり自分の内なる神に問いかけながら未来を創造していく必要があるのではないかと思います。
そして、私はヨガの教えでもある【非暴力:アヒンサー】を、日々実践できるよう、ヨガの学びを続けていきます。
明日はここにも雪が舞い降りるでしょうか?
お出かけの方はお気をつけ下さい✫
ナマステ
aki

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2 Replies to “社会の奴隷にはなっていない。”

  1. あきさんこんにちはー。
    すべてはつながっている・・。ほんとそう思います。
    最近瞑想してるのでレッスンするときはよんでください。

  2. あやさんこんにちは(╹◡╹)
    そうだね、自宅で瞑想会しようかな。
    一昨日燕スタジオのclassでは瞑想もしっかり入れました。
    お時間とれたらぜひスタジオの方にも顔出してね。
    また一緒にヨガしてお話もしたいです!