シヴァとシャクティ

昨日の夜も、都内で激しい雷雨。
夜中には、ピカピカドッカーンと雷が何度か落ちた音。
子供の頃も、雷の音はとても怖かったのを思い出す。
熊谷は暑さ日本一の座を高知に奪われ、テレビで「ちょっと残念。」とおっしゃっていた方がいて、どんなことでも一番って嬉しくて誇らしいものなんだなぁと、おかしかったです^^
私達一家は、私が幼稚園にあがる前に熊谷に越してきて、私はそこに19歳まで住んでいました。
昔から盆地の熊谷は暑いね〜とはよく言っていたけれども、当時は本当に寝苦しい熱帯夜の時しか冷房をつけなくて、その冷房をつけて寝た夜はすごーーく涼しくて気持よくて嬉しくて、「ああ、生き返った〜〜〜(*_*)」と子供ながらに心底思うほどで、そんな夜はいつもより家族も一致団結していて、それもちょっと嬉しかったりして、なんだかそういうのをふっと懐かしく思い出しました。
ついでに思い出したのですが、そういえば毎年夏になると心がワクワクして、夏休みのイベントとか旅先で、新しい出会いとか恋とか、毎年必ず素敵な思い出があったなぁ、と。
恋の始まりは、いつも夏だった。
そして、その恋が実って冬を迎えても、温かい冬が迎えられたことは、残念ながらあんまりなく・・・。
いつも、あー誕生日もクリスマスもまた一人だ〜、寒いよ〜〜〜(T_T)と、嘆いていたものです(笑
30代になって、なんだか夏のときめきもなくなり、恋に必死になることもやめて、肩の力を抜いてから、ものすごく生きるのが楽になりました。
若さは、美しくて激しい。
そして、自分を知らない。
だからすごく苦しかったです。

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日曜日に『風立ちぬ』を観て来ました。
思ったほど感情的にならず、最後に不思議な余韻が残りました。
淡々とした、確固とした、宮崎駿監督の意志と決意みたいなものを感じたのですが、それが何かはまだうまく掴めていないのですが、私達が何をどう感じるのか、ただそれだけなんだろうなとは思います。
ただ、私がふっと思い浮かんだのは、破壊と創造の神、シヴァのことでした。
堀越二郎は、美しい性能の高い飛行機を作り、戦争と日本の未来に貢献し、多くの犠牲者を生み出しもしました。
そして、誠実で博愛心の強い二郎は、美しい奈緒子と再会し、共に暮らし、死別します。
物語は、とても静かに、感傷を与えることなく終わっていきます。
戦争が悪だとも、死が悲惨だとも言わないで、そこは私達に解釈を委ねられているように思いました。
それは感情に流されやすい肥大化したエゴの塊である人間の性質をあえて無視した、宮崎監督の揺るぎない信念のように思いました。
創造は、ロマンと狂気をはらんでいる。
伝統は、守るものではなく、壊していくもの。
誰かが言いました。
古いものは死に絶え、新しいものが生まれ出る。
この世界に存在するものはすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり
一瞬といえどもその存在は同じではなく、移り変わっていく。
諸行無常。
破壊、すなわち、創造。

シヴァは、ヴェーダ神話に登場する暴風雨神ルドラを前身とし、『リグ・ヴェーダ』では、「シヴァ」はルドラの別名として現われている。暴風雨は、破壊的な風水害ももたらすが、同時に土地に水をもたらして植物を育てるという二面性がある。このような災いと恩恵を共にもたらす性格は、後のシヴァにも受け継がれている。
ヒンドゥー教の三神一体(トリムールティ)論では、3つの重要な神の1人として扱われ、世界の寿命が尽きた時、世界を破壊して次の世界創造に備える役目をしている。
ウィキペディア 「シヴァ」より抜粋

二郎は、シヴァで、奈緒子は、シャクティ。
日本列島は、あちこちで暴風雨。
そして、「経験のない」猛暑。
世界は、また、生まれ変わろうとしている。

namaste
aki

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