私は35歳で結婚して、すぐに妊娠を希望していました。
年齢的に、悠長なことは言ってられないということもありますが^^;、母親になるのは私の望みです。
10代20代は愛に飢えていたから、こじらせた恋愛ばかりしていていました。
でも、20代の後半にちょっとした悟りがあって、平和の根源は、子宮だと思ったのです。
私自身が、平和を生み出す人であれたら。
高校生の時にダイエットで生理が止まり、誰にも言えず、しばらく放置していました。
病院に行って治療を始めて、生理は来るようになったけれども、看護師の仕事も激務だったし、相変わらず食事を制限してたから、ずっと生理不順のままでした。
でも仕事を辞めて、心穏やかにナチュラルな生活をするようになったら、自然と生理が規則的に来るようになって、ああ宇宙と繋がっているんだなぁと思いました。
その頃からようやく自分の中に母性というものがあることに気付き、幸せな結婚して、子供を産み育てるという当たり前のことが、どんなに素晴らしいことなのかと気付きました。
周りの友人たちは、すでに子育て真っ最中だったりするのに、遅咲きの母性です。
多分、インナーチャイルドや傷ついた女性性が癒されてきて、本来女性なら誰もが持つ生命を宿したいという本能が、私の中でようやく目覚めたのだと思います。
そして30歳でピースボートに乗って、同年代で助産師をしている友人が見せてくれた吉村先生のDVD「しあせなお産をしよう」に大号泣。
美しくてたくましい、自然出産を知りました。
帰国後、Yogaの勉強をしている時に、当時のパートナーと出会いました。
彼は私より26歳年上でした。
それまでのこじらせ恋愛とは違って、本当に幸せな恋愛でした。
年の差は全く気になりませんでした。
そして私は付き合い始めたときから結婚を望んでいて、子供も欲しいとパートナーに伝えていました。
でも、彼はずっと決断が出来ないでいました。
彼はずっと傷ついた子供のままでした。
私は知らぬ間に、自分の母性を彼に注いでいたのだと思いますし、満たされなかった父性を彼に求めていたのだと思います。
付き合って2年が過ぎようとしていた時に、私はそのことにようやく気付き、彼と別れなければならないことを悟りました。
その別れはとても辛く、自分自身の深い過去の傷を根こそぎ掘り起こし、それらを癒さなければなりませんでした。
私はその心の痛みに耐え切れず(またその痛みを開放するために)、バセドウ病という病になったと思っています。
そしてこの試練の中で出会ったのが、今のパートナーでした。
私は、試練の最中にいる時にも、それがギフトの前兆だと信じていました。
私はこの年、運命の人に出会うと直観し、身近な友人にはそれを告げていました。
だから彼と付き合う事になった時、一切の迷いも不安もなく、すぐに結婚の約束をしました。
それからというもの、自然な流れに乗るように、私達の結婚を妨げるものは何もなく、すべてが順調に運ばれていきました。
彼の存在は、すべての苦しみも悲しみも癒やし、この地上に天国をもたらしてくれました。
私がずっとずっと望んでいた真実の愛が、ここにあると思いました。
愛の偉大さに、ようやく近づけたという確信がありました。
だから、身体の不調とか、お金のこととか、その他のことはほとんど気にならなかったです。
ただ、甲状腺の異常が妊娠を妨げるということには一瞬焦りましたが、それでもきっと大丈夫だろうと思いました。
きっとバセドウ病も治る。
すべてがうまくいく。
とにかく自分に出来ることをして、与えられたギフトに感謝すること。
愛がすべてを超える。
そう信じていました。
そして、結婚して2年後、無治療でバセドウ病は完治しました。
それからさらに2年たち、私は39歳。
それまで一切していなかった、不妊検査を4月に始めました。
つづく。