8月31日はブルームーン。
私達は、“あるミッション”のために【スカイツリー】に行きました。
そして、夜は、クリスタルボール奏者の牧野特侑さん始め、「ガイヤシンフォニー4番、5番、7番」などの楽曲も手がける長屋和哉さん、 ヨガとアーユルヴェーダの呼吸法を取り入れたヒーリング・ワークなどを行なっている音霊アーティストの奈良裕之さんのコラボレーション・豪華ライブ 『風祭りに鼎(かなえ)る神々の響宴』に行ってきました。
そして9月1日は、『地球村』代表の高木さんの講演会
『美しい地球を子供たちに~大震災と原発事故の真相~』
を聞いて来ました。
スカイツリー。
ものすごい人力、尽力、創造力で、こんな巨大な電波塔を建てたのだと思うのですが
今の巨大資本主義を象徴しているにすぎない代物、、。
もちろん、別の見方をすれば、世界を代表する未来の希望の塔なのかもしれません。
その後のライブは、魂そのままの原始音楽に触れて、時代をそっくり2000年遡ったような感じ。
感動した、とか、よかった、とか、そんな感想では言い表せず
ただ、「凄かった・・・・。」
それしか言葉が見つからないような音楽、というより舞台でした。
まさに、神々があの教会のホールに舞い降りて来て、踊り狂っているような、そんな感覚になり
夜空に煌々と輝く満月を見ながら、体中の力が抜けたようになって、帰宅しました。
そして、高木さんの講演会。
ユーモアも交えながらも、迫真の、鬼気迫るような、まさに魂の叫びのような講演会でした。
高木さんは、これまでずっと、そう30年も闘ってきたものに対して
どうしようもやりきれない思い、愛ゆえに抑えられない怒りが爆発していました。
彼は常に事実を伝えようとしています。
入念に詳細に情報を集めて分析し、政治家さえも異論できないほどの論理性を持って、事実を説明しています。
それは、明らかに、世界には、特に日本には、あらゆる不正、事実詐称、搾取の事実があるというもの。
この事実を見れば、【中立さ】というものは、どこにも存在しません。
まさに、彼が今まで大事にしてきた【非対立】というものさえも捨てて
怒りを顕にする高木さんの裸の姿に、私は感動しました。
これまでは、高木さんと私の思想は少し違うように思って、『地球村』の講演会はどうも興味が持てないと思っていたのですが
それは、もちろん、まだタイミングではなかったのだと思います。
そして、まさに今がタイミングだったのです。
高木さんの生き方は、ある意味ものすごい極論を体現しています。
でも、彼は間違っていないのです。
彼は、本当にスゴイ人です。
私の中にあったものを、私が見ないようにしていたものを
どーーーーーんと、目の前に提示されたのでした。
選択可能な未来
高木 善之 / PHP研究所
私は気が付きました。
私は、「自分は現実を冷静に受け止めている」と思っていましたが
受け止めることができない、という自分を、受け入れていなかったのです!
私の中にあった“深い諦め”とは
私が、幼い頃に、自然破壊があからさまに加速している様や、世界で戦争が起きていることに対して
どうして!どうして大人はそんなことをするの?!!
誰も、その時の私の訴えに耳を傾けてくれませんでした。
どうして、こんなに紙を沢山使うの?
どうして、こんなに水を汚すの?
どうして、こんなに電気を使うの?
どうして、こんなに動物をいじめるの?
どうして、人間同士が争うの?
どうして、人は傷つけあうの?
どうして、どうして・・・・・
破壊と暴力の圧倒的な恐怖が、幼き頃の私に覆いかぶさってきましたが
そんなことを言っても、誰も何も解決してくれないことがわかると
私は自分の思いを心の深いところに閉じ込めてしまったのでした。
そして、ここ最近、私の中に潜む“死の予感”の意味。
日に日に体調がよく、健康そのものな自分自身に戻っているのに
どういうわけか、「もうすぐ死んでしまうかもしれない。」という、自分でもなぜそう思うのかわからない根拠のない直感。
そして、私には、死の恐怖がないから、どうして、私は死ぬのだろう?
そんなことをぼんやりと思うことが、実はあったのです。
その意味が、わかったのです。
地球の寿命は、確実に、加速度的に、このままでは死んでしまう!!
だから、私は、自分の「死」を、予感したのです!!
私は、私なりには、最善を尽くしているつもりになっていたけれども
深いところで、深く、もう諦めていたのです。
この地球という生命体の“いのち”を。
そして、自分自身の“命”を。
こんなにも愛している地球を、私は本当は見捨てていた、のでした。
それは、自分を見捨てていたのでした。
あまりにも残酷過ぎて、受け入れられなかったのです。
そして、私は、地球と分離してしまった。
私は、自分自身と分離してしまった。
だから、だから、こんなにも豊かで満たされているのに
頭では、「繋がっている」と信じていたのに
私には「生きたい」という、欲求がなくなり
本当の意味では、「満たされていなかった」のです。
私は、こんなにも幸せなのに
どうして「生きる意欲」がないんだろうと、わからなかった。
全てを、諦めてしまったことさえも、封印してしまったからだった・・・・・
震災の前にも、私は泣いていました。
「地球が泣いている」と、はっきり感じたからです。
でも、地球という生命体の「生」も「死」も、それは大きな輪廻の中で自然なことだろうと思った私は
どうして地球は悲しいのだろう、と疑問でした。
でも、そうじゃないのです。
地球は、本来、私達が自然と調和した生き方を、他の動植物のようにしていたら
持続可能な、永遠な(もしくは、あと数億年先とかは滅びるのかもしれなくても)命。
私達の魂が、普遍的なものであるように
地球もまた、普遍性を持っているものかもしれません。
私は自分が何者であるか、忘れていました。
私は、地球だったのです。
私は、一個人でありながらも、全体でもあるのです。
私は、何度も何度も「生まれ変わる」という言葉を使います。
ブログでも、何度「生まれ変わる」と書いたことでしょう。
そして、それは、新しく生まれ変わる、と同時に、古いものは死んでいたのです。
私の古い観念が、その度に死んでは、新しくなっている。
何度も、何度も、深い気づきの度に、宇宙との繋がりを思い出しては、生き返ります。
でも、いつも自分の心の窓を磨いておかないと
真実はすぐ曇って見えなくなります。
何度も、何度も、やり直しては、学んでいるのでしょう。
命とは、創造のエネルギー
創造は、エネルギーの爆発だ!
私達は、創造するエネルギー。
どんなものも、創造できる。
どんなものを創造したいか、私達は選ぶことができる。
さあ、創造しよう。
新しい、美しい地球の未来を。
あなたの、輝く未来を!
namaste
aki