2月3日節分。
2月4日立春。
そして今日は冷たい雪がしとしとと降っていますね。
いかがお過ごしですか?
一昨年、去年と冬物の洋服はほとんど買わず、母からもらったものやあり合せで間に合わせていたので、今年はその反動でセールで買いまくろうかと思っていたけど(笑)、結局そんなに物欲も盛り上がらず、セーター一枚、ワンピース一枚、パンツ一枚だけ買って、あとは年末から欲しかったネックレスを買いました。
JOE SCHMOE
すべて手作業でひとつひとつ丁寧に作られているのだという、神戸の職人さんのハンドメイドアクセサリー。
初めて見たとき、これは何の石だろう?と、なんとなく気になった。
一旦はその曖昧な印象ゆえ忘れていたのだけど、しばらくたってからお店に行ったら、まだガラスケースの中にあったので、思い切って店員さんに聞いてみました。
「これは何の石ですか?」
原石のようなダイヤモンドのかけらを集めて作ったとのだという。
私はダイヤモンドは大好きだけど、なんかもーゴージャスなものは違うなぁと思っていたところ、その“かけら”というのに妙に惹かれました。
つけてみると、繊細で優しい輝きが、主張しすぎない印象で心地良い。
ようやくお気に入りに出会えました。
実は私が25歳の時に自分のために買ったプラチナとダイヤモンドの25万円のネックレスのペンダントトップを、今年の始め頃に洗面所で流してしまいました!!
でももうそれは、今の私に全然合わなくて、着けてもしっくりこない。
でも、売るほど高価でもないし、人にあげるほど綺麗に使っていないし、ジュエリーボックスに眠ってることが多かったのですが、流れてしまった日はなんとなくネックレスを着けたくて着けている日でした。
惰性で着けていたわけです・・。
洗面所の排水口に流れていったのを見て、私は全然ショックでも悲しくもなく(笑
ああ、やっぱりこの子とのお別れの日が来たんだなぁと思ったのです。
そのネックレスもデザイナーさんの一点物で、とても気に入ってよく着けていました。
当時の私のお給料では決して高い買い物ではなかったけれども、もうそんな高価なアクセサリーは今の私には必要ないなぁと思う。
でも当時の私には、必要だったんだと思う。
あのネックレスとの出会いも、何か特別な縁を感じてたからネ。
今の自分に合うものってなんだろうって、時々見つめ直します。
変わらず着続ける洋服もあるけれども、もうお別れのアクセサリーもあるものです。
今の自分に合うものを身につけると、凛として、すっと自分らしくいられるような気がします。
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最近は、物を買うのに、とても慎重になりました。
それは、節約のために買い控えるというよりは(もちろんそれもありますが)、『これは、誰が、どこで、どんな風に作ったものだろう?』というのが、気になるようになりました。
それは食べるものも同じで、産地や生産者がわかるものを食べる、というように、着るものや使うものも、それがわかると嬉しいし、安心するんですよね。
なるべく作り手の顔がわかるものを、使いたいし、食べたい。
そこには、どこにでもあるような安くて大量生産のものを買うよりも、もっと精神的なものを感じます。
どんなものでも誰かの息吹が感じられるものを頂くと、単なる消費ではなくなり、心が満たされ、とても豊かな気持ちになるのです。
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もう物を沢山買ったり、幸せのために高価なものを買う時代は終わったように思う。
高級品を持つことや物が多いことで、私達の幸せが増えるわけではないことを、もうみんな自覚している。
経済のために、私達は消費を促されているけれども、それは違うと思う。
私達は豊かでありたいと思うけれども、もう消費したいわけじゃない。
安いから、でも、高いから、でもなく、“自分に合うもの”を私達は求めている。
ものとも、出会いと別れがある。
良いものに出会えた歓びは、素敵な人と出会えたときのように嬉しいものね。
ふっと出会えたその奇跡を大切に。
namasute
aki