理想の死に方

冬の到来☆
寒さが厳しくなってきました。
夜空がとても澄んでいて、お月様もお星様も輝きが増していますね。
先週土曜日は、beyogaのレベル1/2のクラスを受けた後、シニアヨガ指導者向けワークショップに参加してきました。
高齢者向けにどのようなヨガのアプローチをしたらよいか、どんな点に留意するべきか、アーユルヴェーダの観点からシニアのヴァータの性質を考慮したシークエンスなどといった内容で、今現在シニアヨガをしている最中でもあり、とても勉強になりました。
時々家族や友人との間でも出る「これからの高齢化社会に向けて私達は何をすべきか」という話題に関して、私はやっぱりヨガが役立つと思っています。
福祉の充実、施設や介護者を増やすことは確かに必要な対策ではありますが、根本的には施設にも介護者にも病院にも世話にならない、自立した元気なシニアになって頂くことが、何より大切なことではないかと思います。
それはシニアの方達も望んでいることで、ジムに通ったり登山したり、そしてヨガをしてくださったりしているのですが、もっと私達も彼らの可能性や尊厳を尊重し、施設送りにしないように見守りサポートしていくことが必要です。
おそらく社会的な励行もあって、あちこちでシニアの方達が運動機能向上のリハビリをされていることと思いますが、精神的なことにももっと目を向ける必要があります。
病や老いを予防することも重要ですが、病や老いを受け入れることも同じくらい大切です。
社会の役に立てないことや自分の老いを悲観している方達を時々みかけます。
老いは自然なことだということ、そして何十年と激動の時代を生き抜いてきたことを誇りに思い、自分を労って、余生を思う存分謳歌していいのだということ。
また、元気で長生きして欲しい。
家族の誰もが思うことです。
ですが、「死」がいずれ訪れるということや、ものすごく高齢ならばまもなく、、ということも、本人もそして家族も周りの人も、そのことに目を背けることなく、それを見守ることが大切だと思うのです。
100歳の方が
「わしゃ〜、もうすぐ死ぬんじゃぁ〜。いや〜人生は楽しかったなぁ〜。」
とおっしゃったら、
「おじいちゃん、まだまだですよ。もっと長生きして下さいね。」
ではなく
「そうですね。もうすぐあの世かもしれませんね。思い残すことなく、余生を生きて下さいね。私達は側にいますよ。素晴らしい生き様を沢山見せて下さってありがとう。」
そうおっしゃってあげたら、100歳のおじいちゃんはどんなに楽でしょうか。
私だったら、そう言われたい。
うちの両親は余生に未練がなく、私達に介護して欲しいとも、長生きしたいとも言わず、お迎えが来たら潔く逝きたいと申しております^^;
そんな両親の影響もあって、私も彼らのことを全く心配していないのですが
親は、子供に心配される存在ではなく、尊敬される存在なのです。
ネイティブ・アメリカンとか先住民族の方達とか、最高齢の長老が最も尊敬されています。
最も力を持った神々しい存在なのです。
本来私達が歳をとるということは、老いぼれたり、ボケたり、弱ったりすることではなく、どんどん神に近づく輝かしいことのはずなのです。
私達は、「老い」というものを見間違っているのだと思います。
若さばっかり求めたり、もてはやしたり、羨んだり。(その傾向、ものすごくありますよね。)
若さも素晴らしいけど、歳をとることだって素晴らしいはずです。
自然な働き、自然な流れ、自然な老いに逆らわず、自分の心身魂を最大に生かし尽くす生き方が出来れば
温かな布団に包まれて眠るように、幸福に死を迎えていけるのだと、私は思います。
そんな風に安らかに穏やかに人生を全して最期を迎えることが、人間は出来るんだと信じることが
幸せな福祉に向けた第一歩だと、私は思います。

VinothChandar
namaste
aki

関連記事:

コメントを残す