善悪を超える

少し前に、俳優の榎本孝明さんが30日間の不食生活をしてニュースになっていましたが
究極的には、人間って、食べなくても生きていけるんですよね。
青汁だけで生きている森美智代さんは有名だし、太陽光から得るエネルギーやプラーナと水だけで生きている人もいるしね。
「あるヨギの自叙伝」にも不食の女性が出てきます。
私達が常識だと思っていることの、どれほど常識ではないことか。

そんな私も、自分では無意識に色んな古い常識を山ほど抱え込んでるなぁと思う。
これは良い、これは悪いって、つい善悪でジャッジして、自分が良いと思うことを選択してる。
それは時に必要なことなのだけど、そんな風にして、これまでどれほど自分の正しさにこだわっていたか。
そしてまた正しいと思う情報にはすぐに影響されたり、迎合したりする。
これからの時代にどう生きるべきかとか、本当の平和ってなんだろうかなんてことを考えていたら
自分の善悪で色んなことを判断してるなぁと気づいた。
いつも、「一体何が正しいのだろう?」と。
私の善悪の判断は、多分そのほとんどが過去(の経験や本や情報などの知識)から来る思考の産物で
私は何を本当に知っているのだろうかと。
正しさというものは、ものすごく個人的なこと。
だから、大事なことは正しさじゃないと、思った。
正しさにしがみついている限り、自由じゃないしフェアじゃない。
その正しさに執着した途端、争いが起きる。

怒りが生じるとき、たいていその奥に恐れがある。
その恐れも、過去から来る。
誰かを批判したり攻撃する時というのは、自分を守ろうと必死だったり、自分が認められたくて必死だったりする。
本当の正義なんて、どこにもないのに、それを盾にしているだけ。
「みんな違って、みんないい」
それが実践出来る人は、自分も含めて、ほとんどいない。
この世界にこんなにも人がいるのに、同じなんてあり得ないのに、「違い」があるだけで、他を排斥する。
それは、自分の中にまだ恐れがあるからなんだよね。
でも、その恐れは、実は自分が勝手に創りだした幻想なの。
過去(もしくは未来)の記憶や情報が、幻想の世界を作り出す。
だから、真実を見つけるって、本当に難しいこと。
外側の世界には、真実なんてない。
自分が自分の中心でいることや、神の子であることを思い出すことでしか、なかなか真実には出会わない。
だから自分の曖昧さに気づく、その不確かさを認めること。
そう思ったら、誰かを非難したり批判したりすることがどれだけ愚かなことかわかる。
自分の常識を一旦ゼロにする。
そうすれば、あらゆることが可能だし、あらゆることが多様だとわかる。
それでも、まだまだ恐れってあるし、つい最近もイライラしたことがあってね。
そのイライラの奥にある感情や思いを汲み取っていたら、自分の中にある思い込みに気づくためだってわかったの。
やっぱり世界は自分の心を映してるだけなんだなって、呆れるほど見せてくるよ。
でも今は無理に手放したりしないで、ただ気づくようにしてる。
「気付き」が大事だなって思うよ。
自分を無理に変えようとしないこと。ただそこにある感情を受け止め、理解すること。
どんなに良いことでも、変えようと必至になってしまうと、また今から遠ざかってしまう。
ある程度のところまで、自分で内観を深めたら、自然に変わろうとする意図があるか、あとは自然(宇宙)に任せるか。
私達には、ものすごく大きな潜在的な力があるからね。
すべての人に力があるし、念じたら物体も動くよ。
ヨギーの世界では、仙人級になると、水の上を歩けるようになりますからね(笑)

旦那さんがよく冗談で、あと少ししたら身体が浮くかもしれないとか、老後は機械化してるかもしれないとか、話してるんだけど(^^)
でも、意外とそれは冗談でもなんでもなくて、本当にそうなるかもしれないし
これからどんどん私達の意識が変化して(拡大して)、もっと精神的な霊的な感性が取り戻され
ITの進化と平行して、自然回帰の信仰も強くなっていくだろうと予測しています。
このあらゆるものが混在し、人々の意識が速やかに具現化していく時代に、私達は何を選択するのか。
そんなことを、しばらく悶々と考えているうちに、本当は「選択」ではなくて、もう決まっている「流れ」に乗るだけなのかなと
自分の中にある、善悪を超えた、純粋な意図に従うだけなのだろうなと
まだ色んなことがわからないけれども、自分を見つめる日々です。

shanti
aki

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