ヒンズー教


少し遡りますが、バリ島に入る前のジャワ島のジョグジャカルタにある世界遺産観光は、仏教遺跡であるボロブドゥールともう一つ、ヒンズー教のプランバナン寺院も観てきました。
寺院建設はボロブドゥール遺跡とほぼ時期の8世紀頃。地震により大部分が崩壊したが、現在も修復を続けており、1991年にはユネスコに登録されてジャワ建築の最高傑作の1つと言われている。
インド生まれのヨガは、同じくインド生まれのヒンズー教の影響を受けてその思想を大きく受け継いでおり、私達はその歴史を知ることで、ヨガの奥深さに少しでも触れようとしている。
しかし私は宗教的な要素はそれほど重視していなくて、スピリチュアルな感覚から瞑想を重んじていた。
ところがプランバナン寺院を参拝し、確かに力強いヒンズーの神々のエネルギーを感じ、あらためてヒンズーの力・思想の不思議さと神秘に感銘を受けた。
それまで私が瞑想で感じた創造神は、あくまで私が作り上げた創造神であって、ブラフマーだとは思わなかったし、この世界は破壊と創造から成り立っていることを知っていても、それがシヴァ神だとは直接的には思わなかったけども、シヴァを祀る「ロロ・ジョングラン」のエネルギーに確かに圧倒された。
それは、ただ湧き上がる畏怖の念。
また維持を司るヴィシュヌ神のエネルギーはもう少し柔らかく、ブラフマー神は物申さずと言った感じで、ものすごく静かだった。
寺院に近づいてはいけなかったのではないか。
雲行きが怪しくなってきた夕暮れ時に訪れたからもしれないが、なんだか早く立ち去りたいような、ここに来てしまったことがとても恐れ多い気がして、私は最後に跪いて頭を下げ、ここに来られたことをお詫びしそして礼を表した。
私はヨガをしていながら、今まで何か大事なことを忘れていたのかもしれない。
今まで、教科書に習うように神々のマントラを唱えることはあった。
でも、懐の奥底では神々達の息吹は感じ切れていなかった。
ここに来て、ようやく少し、ヨガの源流に触れることができたのかもしれない。
ヒンズーの神々を近くに感じる。
寺院にはやっぱり力があるのだ。
そして、バリへ向かうフライトで、ものすごく気分が悪くなってしまったのだけども、私はそれをポジティブにとらえた。
私は、やっぱりジャワに来る意味があったんだと。
ジャワはイスラム教の地だから、ここでヒンズーと仏教を感じまくるのもなんだが(笑
私の魂には、確かにヨガが根付いている。
ヒンズー教を少し復習してみる。
(以下、ウィキペディアから抜粋。)

ヒンドゥー(ヒンズー)の語源はサンスクリット語でインダス川を意味する。
ヒンドゥー教はバラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら徐々に形成されてきた多神教である。紀元前2000年頃にアーリア人がイランからインド北西部に侵入した。彼らは前1500年頃ヴェーダ聖典を成立させ、これに基づくバラモン教を信仰した。
紀元前5世紀ごろに政治的な変化や仏教の隆盛がありバラモン教は変貌を迫られた。その結果 バラモン教は民間の宗教を受け入れ同化してヒンドゥー教へと変化して行く。ヒンドゥー教は紀元前5 – 4世紀に顕在化し始め、紀元後4 – 5世紀に当時優勢であった仏教を凌ぐようになった。その後インドの民族宗教として民衆に信仰され続けてきた。
神々への信仰と同時に輪廻や解脱といった独特な概念を有し、四住期に代表される生活様式、身分(ヴァルナ)・職業(ジャーティ)までを含んだカースト制等を特徴とする宗教である。
三神一体(トリムルティ)とよばれる近世の教義では、中心となる3大神、すなわち
ブラフマー:宇宙の創造を司る神
ヴィシュヌ:宇宙の維持を司る神
シヴァ:宇宙の寿命が尽きた時に世界の破壊を司る神

私は日本人だから、神道と仏教の神仏習合の思想が生活に根付いている。(多分)
でも、バリ島のホテルで瞑想を指導してくれたブッダ先生は
「あきさん、あなたはヒンズー教と仏教の神様がついています。」
そうおっしゃった。そういったエネルギーを私が持っているのが見えると。
そんな人は珍しいと言ったけれども、果たして。笑
ジャワで一気に仏教遺跡とヒンズー寺院を参拝したからかもしれないけど
でも、なんだか嬉しかった。
ブッダも、シヴァ達も、私の中にいる、なんて。笑
こころ強い。
思想とか宗教とか言うものは、あくまで人間が創りだした幻想かもしれない。
でも。
確かに、ある。何か、得たいの知れない大いなる力。
それは決して恐ろしいものではない。
ただし、恐ろしいほどの力を持ってはいる。
とてつもなく大きく、変幻自在で、時間も空間もないところまで拡がっている。
創造と破壊と維持のエネルギー。
キリスト教もイスラム教も道教も、あらゆる宗教の根底にあるもの。
「宗教」さえも超えたものが、ある。
そして、それがまた宗教に影響を与えたのだということも確かなのだろう。
3・11の前に、私はシヴァのエネルギーを感じ、よくマントラを唱えた。
まさか、大きな地震が起きるとは全く想像もしていなかったのだけど、確かに何かが起きるということだけは感じていた。
シヴァよ、私達を導きたまえ 
Om namah shivaya
(この物質界の経験を、限りのないスピリチュアルな世界の純粋知性にまかせます。
 シヴァが変化や困難から私達を開放して、自由にしてくれます)
師走、どうか平和に、この変化を乗り越えていけますように。
namasute
aki

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