治癒

昨日は、埼玉の戸田にある幼稚園に出張ヨガ。
ちびちゃんを育てているお母さんたちとヨガをしてきました。
(最近の出張ヨガは、幼稚園からの依頼が多いです。)
ヨガが終わったあとのお母さん達のお顔が、いつもよりスッキリしている!!と園長さん。
ほっこり嬉しくなった瞬間でした♪
そして、仕事の後は気持ちがよい恵比寿ガーデンプレイスに行って、どこでランチしようかプラプラ。
雰囲気のよいお店はどこもそれなりに混んでいて、落ち着かないのは嫌だなぁと、静かに過ごせるところがいいなと思って、『宮越屋珈琲』に入りました。
町田にも宮越屋珈琲があって入ったことがあったのですが、町田店よりお値段お高め、珈琲一杯800円くらい!!
ちょいとビックリしましたが、でもそのお値段ゆえ店内は空いていて(笑)、ゆったり過ごせたのでよかったです♪
そこで軽めのランチをとって、本を読んだり、9日の仕事のシークエンスを考えたりして過ごし、その後ちょっとだけ三越の店内を見て回り、その後は鷺ノ宮にあるクリニックに行き、先月の検査結果を聞きに行きました。

「とおいさん、無罪放免だね、おめでとう!」と、敬愛するさかい院長先生。

バセドウ病は完治していました。
体調がいいのでかなり回復しているとは思っていましたし、もしかしたら完治しているかも、とも思っていましたが、実際にデータではっきりと証明できたことは自分でも正直少し驚きました(笑)
旦那さんにメールで伝えると、仕事帰りにお花を買ってきてくれました。
誰よりも間近で私が「はぁはぁ」言っては歩けなくなったりしているのを見ていた旦那さんは、いつも私の身体を気遣い、心をかけて尽くしてくれました。
そして、沢山の方に手厚いサポートと、温かい励ましの声を頂きました。
敬愛する師匠や友人達からは、無償でヒーリングやアドバイスを頂きました。
本当に本当にありがとうございました。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

当時、病気になった原因は、いくつかすぐに思い当たりました。
だから、私はそれが解消できたら病気は治る、と思いました。
医師が「治療しないと、治らない!」と言っても、
私は「原因を取り除いたら、自然に治ると思います!」と言い返していました(笑)
私には正直言って、病気になったことの落胆はほとんどありませんでした。
(一過性の亜急性甲状腺炎じゃないと診断されたときは、さすがに少しはショックでしたが。)
そして、恐怖もありませんでした。
医者に、「発作が起きたら死ぬよ」と言われました。
でも、私の心の中では、「発作が起きる運命だったら、死ねばいい。」と思っていました。
と同時に、誰がなんと言おうが、直感的に「自分は大丈夫だ」と思えたのです。
当時、私は明らかにストレスを強く感じていました。
2011年3月11日の地震のあとです。
所属している派遣会社の被災地での医療ボランティアに行かない代わりに(一応志願したのですが、別のスタッフが行くことになりました)、休みなく依頼が来る仕事を引き受けていました。
未来のビジョンを共有できない当時のパートナーと、決別を迎えていました。
その中で、私はそれまで以上の葛藤とジレンマを抱えていました。
心の平安を維持できないことが多くありました。
私は自分を責め、自分を見失いかけていました。
私は自分でも気づかないうちに、疲れ果てていました。

そして、病気になったことで、それまでの自分を構築してきた家族関係、人間関係、恋愛のパターン、仕事や人生のあらゆること、そして、未来のビジョン、もしかしたら過去生、来世、生まれ持った使命、カルマ、すべてが重なりあって、そのときの自分に必要なことが起きたのだということがわかりました。
ヨガ、瞑想、自分を見つめ続けることによって、固く絡まった鎖が、少しずつほどけて行きました。
何度も何度もその作業を続けて、様々な気付きを経て、この世界がパラレルワールドだということも垣間見、そして病気から治癒への過程を経ていくことができたのだと思います。
だから、今回検査をしましたが、治癒するべき時期に治癒すると思っていたので、どーしても治ってて欲しい、というのもありませんでした。
なので、たとえ病気であっても、私は少しも悲観していませんでした。
病気になったことで、私はたくさんの恩恵を頂いたのです。
私は自分を知るために病気になり、そして再び自分を取り戻したのです。

そして。
あらためて、あらためて、“統合”とは何か、に行き着く。

ヨガ、それは“統合”

それは、両極が単一となり、不調和が調和となった状態。
分離、葛藤、抵抗が病気を招いていたということ。

“統合” それが “治癒” だということ。

この一冊の本が、私の曇った目を開かせてくれました。

病気が教えてくれる、病気の治し方―スピリチュアル対症療法
トアヴァルト デトレフゼン / 柏書房

そうか。
「病気」も「健康」の一部。
そもそも、「人間はもともと病気である」。
なるほど、そういう考え方もあるんだ。
健康になろうとすればするほど、病気になっていくと(病気を作っていく)。
確かにそうだ。

私は10年前に体調を崩したときも、「本当の健康ってなんだー!!」って色々試していたときは、ちっとも健康にならなくて
もうぜーんぶやめちゃえ~!
色んな考えを手放して、好きに生きたらいいじゃ~ん!
ってなったら、「健康」になった(^^ゞ
それは、私が鬱から回復していく過程で気がついたことだった。
結局、何かにこだわっているうちは、「健康」から遠くなることを実感して
自由に、あるまがままに、気楽にするのが、一番だということに至る。

今回は、ある方から食事に関するアドバイスをもらい、それは多少参考にしましたが、医学的な治療も特別なこともしないで、ただ自分を休ませ、労り、家族や友人たちの好意に甘えて、ただ経過を見守りました。
それはとても安らかな過程で、私は病気になったことで、じっくりと自分と向き合い、癒す時間を与えられました。
病気は、ギリギリまで追い詰められた私にとって、「救い」でもあったのです。

:::

私達は多かれ少なかれ、みな罪人である。
両極の世界、二元論の世界にいる限り、常に善人であり、健康である、ことは不可能である。
人というのは、罪人であったり、病人になったりする。
私達はつい善であり続けようとするし、健康を獲得したいと思っている。
でも、私達はもともと完全であるゆえに、この二元論の世界では二元性・抵抗や葛藤を体験する。
それは不完全だからこそ、私達は自分を知ることができるからだ。
私達はその揺れ動く両極の中から、中庸を見つけていき、そして自分の本質に気がついていく。
何も恐れることはない。
良い人であろうとすればするほど、私達は自分でない者になっていく。
良い人は、早死する。
なるほど、この理論は正しい(笑
「悪を愛する」
この言葉に、はっとしました。
私は、またひとつ、ヨガというものに近づけた気がしました。

身体、心、魂。
それらはひとつ。
自分の生き方そのものが、現象、時に病気として現れるのだということ。
自分に気づくこと。
癒しは、そこから始まる。

shanti
aki

関連記事:

9 Replies to “治癒”

  1. あきさん、病気からのきづき、プロセス、そして治癒・・・
    こころよりおめでとうございます☆♪

    善とか悪とか、ネガティブとかポジティブとか
    ぜーんぶ裏表・・・ぜんぶいっしょと感じています。

    たぶん 超マイペース 長生きタイプです☆
    末永くよろしくお願いします(笑)

  2. ゆき✫さん
    ありがとうございます(╹◡╹)

    善悪、ネがとポジ、ぜーんぶ裏表とわかっていながら、まだまだジャッジする自分がいました。
    この数ヶ月で、たくさんの思い込みに気がついた気がします。

    私、良い人だから、もしかしたら死ぬかも、なんて思っていました(笑
    長生きしそうです♪笑
    よろしくお願い致します!

  3. あきちゃん良かったね!思ってた通りの結果になって私も嬉しいです。元気なあきちゃんとデート楽しみにしてるよ~(^ε^)

  4. あらためて、本当におめでとう。こうなるとは思っていても、やっぱり実現すると嬉しいね! ほんとこの本は素晴らしいよね、ぜひ多くの人に読んでもらいたい。

    ちなみにあきさんは早死タイプじゃないから大丈夫だよ(笑)
    私ももちろん、長生きだし、お父さんも長生きでしょう(笑)

  5. みえちゃん✫
    ありがとう!私もみえちゃんとのデート楽しみにしています~(^o^)♪

  6. なつきさん✫
    ありがとう!この本は深いね^すごいねー。今だから理解できるけど、なつきのを借りようとしていたときは、まだ時期じゃなかったのかもね^^
    いやー、私、意外に早死かと思ったんだけどねー(笑
    自分を知らない証拠だったねー(^^ゞ
    あはははは~

  7. BEとクリパルのセラピーWSでご一緒したHIROKOです。
    おめでとうございます。嬉しくて涙が出ました。あきさんの暖かさ、優しさが病気を消してくれたのですね(^.^)
    又、お会い出来るのを楽しみにしています。

  8. HIROKOさ~ん、嬉しいコメントをありがとうございます~!!
    ぜひまたスタジオでお会いできたらと思います。
    声かけさせてもらいますね✫
    HIROKOさんにも、ますますの幸と健康がありますように✫

  9. […] 2013年5月8日の記事 (完治宣言を受けた時のこと) […]

コメントを残す