サッドヴリッタ(正善行為)

アーユルヴェーダにも、ヨガの八支則(アシュタンガ)のヤマ・ニヤマと似たような規律があり、それをサッドヴリッタ(正しい善い行い)といいます。
私達が健康で幸福であるために「するべきこと」「してはいけないこと」が古典に事細かく述べられています。

サッドヴリッタは、人生についての考え方を変え、ストレス反応を起こしてた事象に冷静に対応できるようになるための訓練(=精神鍛錬)として役立ちます。
先のブログで書いた、健康のための、心を平静に保つということを助けます。
また前世の魂の癖をサムスカーラと言いますが(これによって苦しみやネガティブな感情のパターンを繰り返すことがある)、そのサムスカーラの楔を解き、善いカルマ(新しい善い癖)を積んでいくためにもサッドヴリッタは役立ちます(ヨガの練習もこれに同じです)。
スクールでは、このサッドヴリッタはクリシュナ先生の講義だったのですが、
どんな健康に良いことをやるよりも、サッドヴリッタが重要!というようなことを、仰っていました。
サッドヴリッタは、アーユルヴェーダの中でも哲学的なところなので、私は好きなところです(^^)
ただ、以前のブログでも書いたかもしれませんが、私達は何か正しいものに従うのではなくて、あくまで自分に従うということが大切です。
規律や規則や思想や教えを盲目的に信じることは、危険なことです。
また「やらされている感」がある状態で、何かをやろうとしているなら、それは自分にとって害となるかもしれません。

でも先日、ヨガインストラクターの友達と話しをしていて、とても残念なことを聞いたことや、色々な世間の状況や事件を知るにつけ、アシュタンガもこのサッドヴリッタも、私達が見失ってしまうサット(サンスクリット語:善い、正しい、真実という意味)を思い起こさせてくれる素晴らしいものなのだなぁとあらためて思うことがありました。

真理からズレていても、自分では正しいと思っている、善いと思い込んでいる、または「欲」と「自由」をはき違えてしまうことは、よくあることです。
ヨガ教師でも、聖職者でも、学校の教師でも、警官でも、大企業の社長さんでも、自らの能力を拡大し成功を手にした途端、自我や欲が暴走して、堕落してしまうことは、よくあることです。
誰もが皆、小さな欲望であれば、しょっちゅう溺れているかもしれません。
私自身も、サッドヴリッタを読み返すと、あらためて自分の至らなさに気付かされます。

欲望に流されず、真理に従うことは、自らを律し、自らを守り、私達を平和と至福へと導くもの。
本当の宗教や信仰とは、そういうものだったのだと思います。

✩✩✩

 

今日はブラフマムフルタの時間に起きて、朝の雑用を済ませてから、20分間瞑想しました。
そして最後にマントラ(祈り)を唱えると、温かなバイブレーションが全身に拡がって、深い安らぎに満たされました。

朝の瞑想はサッドヴリッタでも勧めていることですが、つい時間がないのを理由に、省略しちゃうことが多かったのですが^^;
夕方の瞑想とは違う良さが明らかにあり、その日1日を気持よく爽やかに過ごるような予感が感じられます。
できるだけ、続けてみようと思いました。

 

今日はこれから初めてシルク・ドゥ・ソレイユ『トーテム』を観に行きます。
どうぞ皆様も素敵な1日をお過ごし下さい(*^^*)

後記:トーテム、す、す、すごかったです〜!!!
http://totem-jp.com/

shanti
aki

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