清明とは、すべてのものが清らかで生き生きとするころのこと。
若葉が萌え、花が咲き、鳥が歌い舞う、生命が輝く季節の到来です。
東京は、先週に桜が満開。
皆様は、お花見されましたか?
私は風邪をひき、この数日はほとんど家で過ごしており、この週末はお花見出来ませんでした。
でも、庭木の若葉が顔を出し、玄関先にある桃色のハナカイドウの花も愛らしく咲き乱れ、鳥の歌い声に酔いしれて、ここに居ながら、新しい生命の息吹をしっかりと肌で感じています。
今日も小雨が降っていますが、それもこの生命に必要な恵なのだなぁと思うと、雨の日でも心が曇ることはありません。
そして、私達の内側でも、新芽のごとく、何かが生まれては育っているような気がしています。
ここのところ、色々と思うこと感じることがあっても、うまく言語に変換出来ず、それを良しとしているのだけど、ちょっぴりもどかしい気持ちがしていました。
論理的にものを考えることがすっかり億劫になり、感覚にかなり頼っている感じなのですが、もともと左脳優位の私には、それでちょうどよいのかもしれません。
ただ、何かを伝えたい思いはあるようで、なんとなくモソモソとしていたのですが、それが何か自分でもわかってきて、少しずつ出していきたいなぁと思う、今日このごろ。
受け取ってくれる誰かの心に、届いたら嬉しいなぁと思います。
先週、古い3人の友人との再会があって、とても嬉しかったのですが、皆子供がいて、当然子供の話しが中心になり、子供の居ない私はいたたまれない気持ちになってしまいました。
無意識に嫌味なことを言っている自分。
普段は現実を肯定的に捉えているのに、プレッシャーがかかると本性が出る(笑)
しかもちょうど生理が始まった日と重なり、久しぶりにガクンと落ち込みました。
そのせいで、風邪をひいたような気がしてるのだけど^^;、そのお陰で、ここ数日じっくり内観しながら自分を見つめています。
そしてまた、点と点が線となり、自分という小宇宙の神秘の謎が、少しずつ少しずつ解けていく。
これまでは、自分を確立していくために、強い信念やこだわりが必要な時代だったかもしれない。
でも、そのこだわりを強く握りしめれば握りしめるほど、自分を苦しめるのだなぁと思う。
これからは、こだわりをもたないこと、信念も変えていくことが、大切なことのように思う。
そして、最も大切なことは、「無条件の愛」ではないか。
ここしばらくずっと、「無条件の愛」という言葉が、私の中で響いていました。
自分の心の中で起きるすべてのことを、私はただ観ています。
どんな思考や感情を抱いても、それを良いとか悪いとかジャッジせず、ただそこにいる自分をそのままに受け止めます。
風邪をひくと、いつもひどい頭痛がして、自分を責める声が聴こえたものですが、今回の頭痛は軽く、自分を責める声はもうありませんでした。
風邪は自然な浄化作用。
自分の中から、不要になったものが、沢山出ていってるのでしょう。
私はどんなときも、愛の中にいます。
愛はどこにも逃げません。
無条件の愛が、すべてを癒やしてくれるのです。
後記:翌日、近所の川沿いの桜が綺麗でした✩
shanti
aki